結婚・出産・育児と仕事を両立する助産師の体験談

子ども、赤ちゃん

地元の兵庫県で助産師として働いています。助産師歴は20年弱ですね。もう何年目かぱっと思い出せなくなりました。(笑)

看護師さんと同様、国内の助産師さんは年々減少しています。適正な業務ができる人数より3000人足りていないんだとか・・・

理由は看護師さんと一緒ですね。労働時間が長すぎることでしょう。3000人足りなければ今いる助産師さんで賄うしかないですもん。そりゃ激務になります。

おかげで定着率が低く、離職率が高い。このままじゃ一向に助産師の労働環境なんてよくなりません。

私が劣悪な労働環境でどうやって20年弱助産師を続けてこれたかちょっとお話ししますね。

目次

助産師として働きながら学生指導にも携わる

勉強、助産師、指導、学生

毎日助産師として働きながらも、助産師課程の学生の指導にも携わっています。

学生と関わって感じたことは、卒業間もない新卒助産師さんのスキルや知識と、現場が求める知識とスキルのギャップですね。

学生さんは実習もありますが、OKを出す基準が実習先の病院で違うので、学生のレベルにも差が生じています。

一定の水準以上の技術習得ができていれば新人助産師として就職することができます。でも、就職後一番苦労するのは新卒助産師さんなんですよね。

実習先とのギャップとか、こんなはずじゃなかったとか・・・なので、若い助産師の離職率も高いですね。

一般看護師よりも専門性の高い仕事がしたいと思い助産師を目指す

自分探し、就職

私自身、高校生の頃から医療に関わる仕事がしたいなと思っていました。

最初は看護師を目指して看護大学に入学したのですが、看護の勉強をしているうちに一般看護よりももっと専門性の高い仕事がしたいと思うようになりました。

もちろん看護師も専門職ですが、内科とか外科とか精神科とかいろいろあるでしょ?

でも、当時は看護師の専門資格と言えば助産師か保健師くらいだったんですよね。それで大学卒業してから短大の助産専攻科に進学しました。

助産専攻科に通っているときに、実習先で様々な分娩を目の当たりにしました。私おばさんなので、古いこと言うけど、鉗子分娩とかね。トングみたいなもので赤ちゃんの頭を挟んで引っ張り出す応急処置なんですけど。

鉗子分娩で頑張って生まれてきた赤ちゃんが泣きだしたときなんてこっちまで号泣ですよ。

誕生した新しい命に「おめでとう」って声を掛けられることが助産師のやりがいですよ。

助産師になってからは悩みの連続

悩み

でも、やっぱり大変なことの方が多くて・・・

中期中絶で、「おめでとう」って言えないときもあります。実習中初めて経験しましたが、衝撃的でした。

その辛さを少しでも緩和させようと思い、新卒時の就職先は地元で決めました。

新人時代は先輩助産師について働きましたが、ここで今の私の助産師としての基礎を徹底的に教えてくれました。

でも、1年目だからって関係ないんですよ。だって人の命と向き合う仕事で、「新人なので」っていい訳通用すると思いますか?

新人だろうがベテラン助産師さんに負けないくらい知識を付けないといけません

1年目は覚えることの多さ、労働時間の長さ、責任の重さに自分の気持ちがついていけなかったです。

そこからですね、自分は助産師に向いていないのでは?と考えるようになったのは。プライマリー助産師の退職と私が尊敬していたベテラン助産師の退職も引き金になりましたね。

2年間働いた助産師を一度退職しました。

一度、助産師から離れてみた

ストップ、離れる

実家に戻った後は、たまたま見つけた自宅から近い保健センターで臨時の保健師を募集していると聞き、応募しました。

すぐに再就職が決まりましたね。募集しているのが母性看護経験のある保健師だったっていうこともあって。

保健師の仕事もすごく楽しかったです。妊婦や乳幼児との関わりも持つことができましたし。

でも、母親学級に来ている妊婦さんたちとの関わりや、助産師ではなく保健師さんと呼ばれるちょっとした寂しさから、助産師に復帰したい気持ちが強くなりました

保健師として働いたのは4か月でしたが、助産師として分娩に関わることができる病院に転職しました。

離れてみてわかる助産師のやりがいを感じましたね。助産師には、保健師にも看護師にもないやりがいがあります。

地元に帰り、育児と仕事を両立させる

妊娠、出産、育児

転職先は大阪でした。

大阪の中でも大きな病院で、分娩件数は1年間に1000件と多かったですね。公立病院でありながら、フリースタイル分娩や新生児訪問も取り入れていて、助産師としてスキルアップしたいと思っている私にはうってつけでした。

自分だけでも500件以上の分娩経験を積むことができました。

月に15回ほど夜勤はありましたが・・・でも、ハードな職場でも働くスタッフが若い方が多かったので雰囲気も良く、乗り切ることができました。

あ、その病院で今の旦那さんと出会いましたね。たまたま旦那とは同じ神戸出身だったこともあって、地元に戻りました。

辞めたくはなかったのですが、結婚や出産・育児をしながらも仕事は続けたいと思っていたので。

助産師としてだけでなく母親としても挑戦したい

母親、娘、親子

今では3人の育児をしながら仕事をしています。

最近、下の子の育児がひと段落したので、通信制大学院で教育学修士をとろうかなと考えています。

看護師養成施設の教員になれるみたいなので、ステップアップができると思いました。

自分のためだけではありません。

大人になっても勉強し続ける姿を子供たちにも見せたいと思ったのです。だから今回は、母親としての挑戦でもあります。

助産師不足の過酷な労働環境は、正直現場で働くだけでは改善の一手は打てません。

だからこそ、20年弱現場で働いてきた経験を活かして、助産師の労働環境に少しでもプラスとなるような研究ができるようしっかり勉強したいと思います。